カレントのスタッフ紹介

<代表> 松枝 善晴 / Matueda Yoshiharu
松枝 善晴

あなたがリラックスできる場所になりたいから、まず僕の話をします。

少年時代、野球とバンド。

 両親が美容師の家庭で育った僕にとって、この仕事に就くことは自然なことでした。
それでも、誰の人生でもそうであるように、僕の人生にもいろんなことが起こっています。
なぜ、こんな話をするかというと、currentというお店には、友達の家に遊びに行くような感じで訪れて欲しいから。
そのために、僕のことをもっと知って欲しいと思ったからです。
トレンチコートが流行り、欽ちゃんがお茶の間を楽しませていた昭和50年。4月2日に産まれました。
 子どもの頃の僕は、自分は野球選手になると信じていました。
「入部したらおいしいごちそうが食べられるよ」という言葉に乗せられてはじめた野球。
グローブに染み込んだ汗の匂いも、たまにしか出せなかった金属バットの快音も、今すぐに思い出せるほどにのめり込んでいました。
野球選手の夢を持ったまま、中学に進学。
しかし、世の中は空前のバンドブーム。
ベースを駆け抜けていた野球少年は、世界一のベーシストを目指すことに。
高校生になっても相変わらずのバンド野郎で、スタークラブ、ピストルズ、ラモーンズなど、飽きるほどコピーしていました。
その後、ハードロックと出会い、ビリー・シーンに強烈に影響されたまま高校を卒業します。
卒業した僕は、音楽のそばから離れることができず、
楽器屋でアルバイトをしながら、音楽スタジオに居候して慌ただしく生きていました。
 10代の終わり、平成の始まりという時代でした。
美容師の話はもう少し先に出てきます。少々お待ちを。

美容師の道へ。currentができるまで。

 大人になるにつれて、誰もがいろんなことを知り、それまで理解できなかったことが理解でき、
サバとかもだんだん好きなって、止まるべき道、進むべき道が見えてきます。
僕が20代前半の頃、美容師の道へ進んだのもそんな時間の流れでしょうか。
きっかけは?と聞かれても「両親」が美容師だったからという答えしかありません。
そう考えると、本当は生まれる前からDNAレベルで決まっていたのかも知れませんね。
だけど、今日まで美容師を続けている理由ならハッキリ言えます。
 福岡市内で美容師人生をスタートさせて、しばらく経った頃でした。
いつも通りシャンプーをして、すすぎ終わったときに、普段無口なお客さまから、
「ありがとう。気持ち良かったよ」とお声をかけていただきました。
僕は一瞬その言葉の意味が理解できず、キョトンとなったことを覚えています。
そして、今でもうまく説明がつかない涙が出てきました。
人目をはばからず、店内で泣いてしまったのです。
 美容師という職業を、プロ野球選手よりもロックンローラーよりも誇りに思った瞬間でした。
一生懸命やればお客さまと感動を味わえることを知った僕は、それから一回も手を抜いたことがありません。
 そして2010年、食べるラー油が流行った年の11月、
泣ける美容師こと松枝善晴は地元・鳥栖市に「current」をオープンします。
 あの時の感動を何度も味わいたくて、今日も目の前のお客さまにと向き合い全力を尽くしています。
例えばcurrentの人気メニュー、パーティーアップひとつとっても、ドレスや季節、アクセサリーに合わせて、
少しでも多くの魅力を引き出せるセットを心がけています。
(昔、華やかな夜の世界の人たちのセットをしていたので自慢のメニューです)
また、「ゆるふわ」にして欲しいというご希望があった場合でも、しっかり話し合って、「ふわゆる」をオススメすることもあります。
と、ここまで良いことも悪いことも赤裸々に書いてきました。
僕という人間を少しでも理解していただき、他人と思えなくなったら、気軽にお店へ遊びにきて欲しいです。
もっと話したいことはありますが、続きはwebで、の逆、続きはお店で。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。